マイルス・デイヴィス『At Plugged Nickel, Chicago』


65年録音のこのライブ演奏は元々はVol.1とVol.2に分かれてリリースされていた作品です。2枚組の中古を見つけたので今回手に取りましたが、これは本当に凄い演奏。満を持して参加したウェイン・ショーターを抱える壮絶なクインテットです。パーソネルは下記の通り。

 

マイルス・デイヴィス(tp)

ウェイン・ショーター(ts)

ハービー・ハンコック(p)

ロン・カーター(b)

トニー・ウィリアムス(ds)

 

何が凄いってトニー・ウィリアムスのドラムが凄いんですが、この時期のマイルスは『カインド・オブ・ブルー』で確立したモード路線と『ピッチズ・ブリュー』に代表されるエレクトリック・マイルスの狭間に当たるような時期で、なんとなくこれまで見過ごしてきてしまいました。その間をつなぐ上で一番重要なプレーヤーがトニー・ウィリアムスで、この刺激的な演奏は他の追随を許さないと思います。

 

とにかく早いんですが、『フォア&モア』でも驚いた「So What」や「All Blues」の演奏がここでも早い早い。もはやテーマもそこそこに勢いで突っ走る様はまるで別人格を見ているかのようです。短期間でのこの変貌に当時のリスナーは果たしてついていけたんだろうか。

 

ウェイン・ショーターの演奏も地中から這い上がってくるかのようで、全体的にも不気味な迫力が漲っていますが、聴いた感触がなぜか爽やかなのは気のせいでしょうか。そこには実はハービー・ハンコックの貢献があるように思います。

双六亭『双六亭漂流記』


最高最高!密かに待ち望んでいた双六亭の2ndがリリースされました。傑作ですね。カーネーションが90年代に置き忘れてきたもの、あるいはなかなか新作が出てこない青山陽一のエッセンスを継ぐものとして燦然と輝く素晴らしい作品に仕上がっています。

 

白眉は3曲目の「さてもさても」で、イントロからして煌びやかに始まってアーシーかつ躍動的なリズム、全体を彩る楽曲の押しの強さ、と文句なしの出来。こんな感じの曲が次々と続いて全編最高の出来栄えです。

 

遺伝子としてドラマーの中原由貴がカーネーション青山陽一の作品に参加していたことも大きい。そのグルーヴをベースにしながら今回は楽曲の質がとても良い。この感じはカーネーションが3rdアルバムの『エレキング』で突き抜けたような衝撃に似ています。

 

タマコウォルズで登場した時も筋がよかったですが、双六亭に変わってやっと羽ばたいてくれた。そんな気がする新作です。これは売れてくれるといいなあ。

ジェームス・ブラウン『Raw Soul』


JBのアルバムというのは寄せ集めのものが多くて、基本的にはシングル盤を中心に活動したミュージシャンという印象が強い。そのため自分もアルバムは一部の作品にとどめて、コンピレーションやライブ盤などをこれまでは聴いてきました。

 

とはいえ折角安く再発されているため、折に触れて聴いていこうと前々から思ってはいたので、まずは今回67年リリースの本作を手に取った次第。時期的には「コールド・スウェット」直前にあたります。

 

やっぱりちょっと音が古い。加えて酷い音質のライブが1曲だけ入っていたりと、かなりのカオス状態です。そんな中でもグルーヴ完成直前の雰囲気や、凡庸といわれるバラードも言われる程悪くないなあ、などと思いつつ比較的楽しんで聴くことができました。

 

ただ、JBを理解するのにここから入るのはやはりあり得ないので、アルバムを聴き進めるのは色々と聴いてからの方がやはりお勧めです。

吉田美奈子『TWILIGHT ZONE』


77年リリースの吉田美奈子4作目。吉田美奈子もずっと聴かずにきましたが、ここ最近山下達郎を一気に聴き進めたこともあって、自然と耳がこちらに向いてきました。

 

「恋は流星」が入っていることで再評価が高まっているアルバムですが、勿論その曲は最高。加えて全曲初めて自作で、かつ山下達郎との共同でのセルフ・プロデュース。これは確信を持った音が鳴り響いています。

 

70年代の山下達郎の音がしている点も大きくて、浮遊感のあるソウル・ミュージックが次々と繰り出されていく。これは結構堪らないな。素晴らしい作品です。これを聴かずにここまできてしまったとは・・。

 

ローラ・ニーロ的な風情もあるのは、双方ともソウルに傾倒しているからでしょうか。それぞれボーカリストであることも大きい。ピアノの音に寄り添って静かな曲を歌う佇まいも少し似たものを感じます。

 

吉田美奈子の作品群は初期作品から順番に聴き進めていく形となっていますが、これはそのうち聴き固めした方がよさそうですね。ここへきてまたいい音楽を発見できたのは嬉しい限りです。

高橋幸宏『A Sigh of Ghost』


97年リリース作品。ここからはっきりとドラムンベースの影響が音に出ています。ある意味音の質感は80年代に戻ったかのようです。

 

実はEMIイヤーズというのは大人のポップス路線で行ったのは前半だけで、途中からは電子音楽への復活劇が描かれている。というよりも、日本のポップスとして汎用性の高い音楽を目指したアプローチは高橋幸宏のソロ活動としては初期から一貫していて、ただ単に音の装飾が時代に合わせて変わってきただけだ、と考えることもできそうです。

 

従って、時代の要請で電子音楽が求められればそのように対応するし、そうでなければ生音中心の音楽になる。高橋幸宏の音楽はすこぶる相対的なものなんだといえるのではないでしょうか。

 

時代の空気がはっきりと変わった21世紀以降はYMOの再解釈に自らの活動を埋めていくことになるので、90年代はその前哨戦と捉えることもできます。ただし、その変化の兆しや確立したポップスとしての王道路線は体幹のように音楽の中心を構成することに一役買っている。そんな風に感じました。

 

加えてEMIイヤーズがビートニクスの2ndと3rdの間に挟まれているというのも重要な論点ですが、それはまた来月考えることにしたいと思います。

高橋幸宏『Portrait with No Name』


坂本龍一の一周忌でメディアでは様々な特集がなされていますが、高橋幸宏の方は左程のイベントはありませんでした。ただ、このEMIイヤーズのリマスター再発が本当に良い出来栄えなのと、改めて聴き返してみて良い作品ばかりなので、とても嬉しいひと時を過ごせています。

 

96年のこのアルバムは発売時にはほとんど意識していなかった。一時期ひと通りの作品群を聴き返した際に、この作品へのモチベーションはトリビュート盤での高野寛の提供曲「流れ星ひとつ」が非常に良い曲だったことが唯一の出来事でした。

 

もちろんその曲はいい曲なんですが、それ以外にも「終わらない旅」「FIELD GLASS」「足ながおじさんになれずに」といった良作が目白押しで、このアルバムは非常にいい作品となっています。前作の『Fate of Gold』もとてもよかったんですが、この作品も負けず劣らずいい。

 

加えて、ここから既に電子音への回帰が始まっているように思えます。高橋幸宏の音楽に再びリアルタイムで向き合うようになったのはスケッチ・ショウを経た2006年の『Blue Moon Blue』からでしたが、実は心痛3部作もとても良い作品でしたし、93年のYMO再生を経た作品群も一拍置いて電子音楽に戻りつつあった。それがエレクトロニカという手法で爆発する寸前のこれらの作品で表現されていたという事実にやっと気付かされました。

 

背景にエヴリシング・バット・ザ・ガールドラムンベースに歌ものとして取り組んだことも大きいようで、その影響は次作の『A Sigh of Ghost』以降でより顕著になっていきます。

シャイ・ライツ『(For God's Sake) Give More Power To The People』


シャイ・ライツの71年リリース3rd。ここでは「Have You Seen Her」が入っていることが重要です。

 

「パパパッ」とコーラスが入るところが可愛い曲ですが、何となく聴いたことがあるメロディなので、それだけで普遍性を持っていることが分かります。シャイ・ライツはこれでブレイクしていった訳ですね。

 

71年リリースということもあってか、音が若干古い気がします。60年代の音が鳴っている。リマスターの問題なのかとも思いましたが、やはり同時代のマーヴィン・ゲイアイズレー・ブラザーズなんかと比較すると、かけているコストが違うんだと思います。予算次第で洗練度が左右される。それは録音機材の進化が激しい時代だからこその現象とも言えるでしょう。

 

いい曲が沢山入っているので、やはり今後は王道のスタイリスティックスやデルフォニックスをきちんと聴いていかないといけないなあ、と思った次第です。