2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧
#本文は1995年8月号に掲載されたものです。 「向うを行くのは お春じゃないか」で始まる「春らんまん」という曲が好きです。「日本のロック」の先駆者として伝説化されているはっぴいえんど。確かにその存在意義は大きかったのかもしれません。しかし、それ…
#本文は1995年7月号に掲載されたものです。 「ピチカートマニアの皆さん、今晩わ。」 彼等のコンサートで小西康陽が最初に放つ台詞である。 ピチカート・ファイヴのトータルなイメージ作りは素晴らしい。メジャーでもマイナーでもないというスタンスの取り…
#本文は1995年7月号に掲載されたものです。 「楽曲ではなく手法が残っていくバンド」それがムーンライダーズである。独自の視点で作り出す音楽を辿ると、日本のロックの黎明期にぶちあたるのだという。 はっぴいえんどが実在した頃、「はちみつぱい」という…
#本文は1995年4月号に掲載されたものです。 「薔薇がなくちゃ生きていけない」とはムーンライダーズの「マニア・マニエラ」での言葉だが、「日本がなくちゃ生きていけない」のが今のXTCの現状だろう。XTCが何故、本国イギリスやアメリカで売れないのか、そ…
#本文は1995年3月の社内報に掲載されたものです。 今回発掘された「ビートクラブ」は大変な代物であることは各方面で語られている。どういった事情で商品化されたかは知る由もないが、とても良心的なプロジェクトであったことは想像に難くない。是非また新…
折角なので、過去に書いた文章を記録に残していくことにしました。以下は1994年11月に社内報に掲載された文章を再録したものです。 【YMO AGE】 60年代にビートルズが登場し、その後のシーンに多大な影響を与えたように、80年代に登場したYMOは我々の世代、…