#本文は1995年7月号に掲載されたものです。
「楽曲ではなく手法が残っていくバンド」それがムーンライダーズである。独自の視点で作り出す音楽を辿ると、日本のロックの黎明期にぶちあたるのだという。
はっぴいえんどが実在した頃、「はちみつぱい」というバンドがあった。それが今のライダーズの原型だが、その後、何十年のキャリアを有するにもかかわらず、ライダーズがメジャーになることはなかった。
しかしながら、メンバーの裏方での活躍ぶりは目覚しい。一番爆発しているのは、ギターの白井良明だろう。すかんちに一貫して関わっているのは彼である。すかんちの膨大な量の70年代ロックのフェイクを音として具現化させるためには、白井のプロデュースは不可欠である。そのセンスのしなやかさは、知らず知らずのうちにメジャーシーンにも登場している。
小泉今日子の「月ひとしずく」という曲があった。ドラマを見ていたので「カッコいい曲だなあ」とは思っていたが、案の定、井上陽水、奥田民生、そして白井良明という優れ者たちが裏方を固めていた。その他、リーダーの鈴木慶一は密かに原田知世と関わっている。
ライダーズの傑作といえば「マニア・マニエラ」だが、あの時期、YMOとライダーズは、表と裏で日本のニューウェーブを象徴する存在だったと思う。前にも書いたが、その時代はとうの昔に過ぎ去っている。
ライダーズが気合を入れてハウスに取り組んだ「最後の晩餐」。このアルバムが前作、前々作を超えているとは思えない。10周年の時にメンバーが各年代のライブ音源をチェックした際、最も勢いの感じられる音は、やはり「マニア・マニエラ」「青空百景」と立て続けに名作を発表した頃のものだった、という記事をどこかで読んだ。本人達も分かっている。
これだけ細分化した状況の中で、最先端をキープし続けることはもはや難しい。「AOR」は小沢健二やピチカート・ファイヴやオリジナル・ラヴにはかなわない。哀しいがそれが現状だ。
しかし、先程述べたプロデュース業もそうだが、ソロアルバム、これに収穫がある。コンスタントに詩人のようなアルバムを発表し続ける鈴木博文もそうだが、何より兄貴の慶一だ。「THE LOST SUZUKI TAPES」の飄々とした名曲、「人間の条件」「君はガンなのだ」この二曲がかけるアーティストはやはり唯一無二である。
このパワーがあるのだから、ライダーズはそろそろ手法ではなく、曲を残すべきだ。斜に構えるのもいいが、やりたいことをやってメジャーになる存在に一度はなって欲しい。