細野晴臣 「Flying Saucer 1947」

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「触れる天才」こと細野晴臣の新譜が出た。今年還暦を迎えた音楽家のこれまでの集大成、といった大袈裟な冠の似合わない非常に穏やかなカントリーテイストのアルバムだ。収録曲群がセルフカバーを多く含むため、こちらも時の流れをパッケージしたような内容だが、ブライアン・ウィルソンといいポール・マッカートニーといい、自らのキャリアをてらうことなく振り返り、更に新しい地平へ向かおうとする姿勢、このポジティブさは何なのだろう。

世界に誇るべき日本人の謙虚さ、がワールド・シャイネスの語源のようだが、確かにこの美徳がさりげなく浸透していくと嬉しい。発展の止まった人口減少国の成熟した価値観をこれから成長する国や覇権にこだわり環境を破壊している国に、文化に乗せて届けていくなんて素敵じゃないか。

恐らく細野晴臣はこうした謙虚さを我々日本人に向けても発信している。昨今の社会を憂慮する発言は本来持つ国民性、変えようのない性をゆっくりと認識するよう促しているようにも思う。楽天的といえばそれまでだが、時代的なレベルでとるべきスタンスを明示してもらっているのは抗いようのない事実としてマクロ環境が証明している。

それにしても「ボディ・スナッチャーズ」や「スポーツマン」のカントリー化や、後半の畳み掛けるような曲群。これまでの活動を総括する内容でありながら、物腰はあくまでもさりげない。狭山から始まった東京シャイネスからHASYMOに至るまで、細野晴臣は偶然による展開を楽しんでいるように映る。聴く側は気合を入れて取り囲むのではなくて、自然に受け止めるべきなんだろう。

ジャケットがかっこいい。タワーで買うと先着でポスターがもらえる。マニアの受難から張替えさせてもらった。いいなあ、2007年。