スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ロックへの道編第1回

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今回から「ロックへの道」編がスタート。ピーター・バラカン北中正和、高田蓮と共に歴史を追っていく。第1回はロックのルーツの話だったので、思いついたのは50年代にこだわった細野晴臣の『Flying Saucer 1947』だった。

CDの方は大滝詠一の監修だが、御大はテレビに出ないので代わりに上記のメンバーが呼ばれた形となっている。相変わらずだなあ。既にロックと聞いても終末感が漂うが、ここで聞ける体系的な話は多少既視感があって左程の刺激は受けなかった。それだけその言説に親しんできたということか。それにしても北中正和ねずみ男のようだ。

細野晴臣は最後の演奏にも出てくるが、ここで小山田圭吾高野寛はどうだろう。ポスト・ロック系の人脈しかなかったものと思われるが、既にロックはスノッブ化して随分時が経つのでうるさ方から趣旨も含めて批判が出そうだ。シンプルに考えてロックを勉強するのか?といった疑問も湧くし、既成の価値観を破壊するイメージと講座形式のお勉強がアンマッチな感がしないでもない。そのくらいロックという概念が古くなったということか。

そもそも起源とか経緯なんてものを語るストーンズ型のおっさんスノッブに痛烈な批判を浴びせたのは随分前に森高千里も歌っていた訳で、ロック音楽にこだわる年齢層の古さも概念自体を揺るがしている。その精神自体は不変、とうそぶいても語ること自体のフォーマットが古くさくて成立していない。ということはこれも一種のクラッシックとして捉えて楽しんでしまうべきなんだろうな。中村とうようの死去もあって、尚更に時代の変わり目を感じてしまう。シェケナベイベー親父も最悪だと思う。一番ロックを語りそうだし。

と、微妙な感情を抱いた回だったが、こうした屈折した気持ちで見ていくと何が見えるか、そんな意味で楽しみなシリーズとなった。