YMO『PROPAGANDA』

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今月はYMOの昨年のライブDVDが発売されるので、合わせて昨年再発された散開時の映画と再生時のライブを同時購入した。通して観ようかと思ったがバラバラと届いてしまったので、まずは散開時の映画から。

83年というと自分は中3で、今の息子の年齢と同じだ。昨日亀戸天神に合格祈願で一緒にお参りに行ったが、その頃観た映像が今こうしてモニターで観れているというのも何だか不思議だ。モニュメントだな、これは。

映画を観た当初は音楽を汚された気がしたものだ。元々映画尺に拡大したPVみたいなもんなので、そうして観れば当時の社会を感じるという意味ではドキュメンタリー性を醸し出している、と言えないこともない。映像というのは寝かすとそれなりに価値を出し始めるものなんですね。それにしたって今本人達が観ても恥ずかしいだろうなあ、という映像の連続技。確か83年の年末にNHKでライブの特番が放送されて、そっちの方が格段に面白かったように記憶している。でもこれはこれ。映画だからね。

当時のパンフレットからの再録で3人に対するコメントが矢野顕子景山民夫村上春樹から寄せられている。一人は故人だし他の2名の内容も当時っぽくて面白い。でもLDのライナー再録にある「YMOは独裁だった」というコメントが当時のアートワークのすべてを言い切っている。ナチス風の衣装に身を包んで変な外人モデルを横で踊らせ、最後にセットを燃やす、というリアルタイムで経験していたら妙な伝説化に嫌悪感を抱くこと必定な仕掛けの数々。これが83年だしセゾン文化の終焉なんだ。YMOの当時の音はドンシャリ系でこれが唯一再発CDの『アフター・サーヴィス』購入を渋っている原因なんだが、ここでは音の温かみが映像の暗さを補ってむしろ快適に聴こえる。

しかし伝説化の連続はさぞかし猿回しされる側には辟易としたんだろう。それでも楽しむ、という大人な側面もありつつ、もうお腹一杯という感覚ではないだろうか。これが後のテクノドンにも言えるしムーンライダーズの活動休止にも言えるんだと思う。祭り上げを嫌うんですよね。でもこいつは会社の部長職以上にも言えることで、周りが伝説化することで本人が隠蔽される、あるいは密封される、という構図に酷似している。もはや人ではないんだ。いるだけでOKという象徴的な存在。それは皇族も含めて嫌だろうなあ。他人事ではない。