小沢健二『我ら、時』第一盤

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一昨年見事復活した小沢健二の豪華ボックスを購入しました。

渋谷のパルコミュージアムで展覧会が行われており、その会場で購入しましたが、正直言って展覧会は10分もいなかったと思います。基本的には写真展で、暗闇の中で写真が明滅し、小さな音のコメントや音楽が流れるというもので、美意識が迫って来るようで少し引いてしまいました。目的はこのボックスの購入にあったのです。

それにしても渋谷には久々に行きましたが、何という人いきれ。息苦しい程人がいて、やはり年齢的にもう合わないなあ、と感じました。渋谷系だから渋谷でやるのかな?等とスペイン坂を下りながら考えましたが、かつてトッド・ラングレンの再発盤を求めて、あるいはザッパの中古盤を漁るために徘徊した渋谷の街は世代を排除しているように見えます。

凄い仕様です。和紙にこだわってるんですね。ボックス自体は予想に反して左程大きくはありませんでしたが、箱を開けるといきなり和紙につつまれていて、紙を慎重に開けていくと中からこれも和紙仕様のジャケットに入った3枚のCDと写真集兼歌詞カード、本が2冊、写真スタンドやアクセサリー等、隅々まで美意識を浸透させた作品を出そうとする意志が感じられます。

小沢健二は原盤権を得て自分の楽曲の再発についても完璧にコントロールしています。そのため『刹那』も期待に反して最低限の曲しか収録せず、ファンにとっては少し物足りない再発でした。でもこれがある意味理想の姿なんでしょうね。現在はニューヨーク在住で、淡々と文章を発表し、こうして復活してライブもやる。音源や映像も徹底して流出させず、自らUStreamでメッセージを配信する、といった活動の仕方はわがままなようでもあり理想的なようでもあります。信者を多く抱えた時代を象徴する人だけに、演出された神格化を醸し出していくのはアーティストのひとつの在り方なんじゃないでしょうか。鼻につく人もいるかもしれませんが、変にメディアで騒がれるよりいいのはYMOも身を以て証明しているように思います。で、単価の高い作品できっちり稼ぐと(笑)。

さて音源の方ですが、一昨年の復活ライブを可能な限り再現したようで、小沢健二自身の朗読も多く収録されています。バックに演奏が入るのでスッと耳に入ってきますが、この「語り」と全盛期の曲群の併存が「文学的」という表現で適切なのかどうか。観客の黄色い歓声は凄いですが、そこと本人の美意識のギャップも凄い。伝説化を地でいく徹頭徹尾コントロールされた表現の提示は強い意志を感じます。ここまでやるんですね。小沢健二は同世代なので、こうした老成、落ち着いた活動ペース、メッセージをきちんと届けたいというこだわり、みたいなものは40代に入って納得できるスタンスではないかと思えます。まだ言いたいことはある。あるいは津田大介が言うように端的にお金がないのかもしれない。でもお金のための復活だとしてもそこに自らの意志をこめて、しかもそれが通ってしまうという恵まれた環境。つくづく完璧主義な、強気な、でも分かるなあその感じ、といったような共感も覚えつつ、じっくりと音を楽しんでいます。狂騒を回避するところがいかしてますね。

メンバーはスカパラ真城めぐみ、小暮晋也といった面々。『流星ビバップ』から始まるのはやはりお気に入りなんでしょうね。新曲『いちごが染まる』なんかもあって、演奏が落ち着いていて非常に快適に聴こえます。『ラブリー』をじらすところなんかも自信を感じるなあ。この人にも歳のとり方のひとつの形を見せてもらっている気がします。