大貫妙子『カミング・スーン』

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矢のような日々を通り過ぎてやっと連休に突入しました。特に出かけることもないゆっくりした毎日を過ごすことを期待しつつ、86年リリースの企画ものアルバムを聴いています。ここのところこの時期の音源を聴く機会が多いですが、大貫妙子の場合は時空を超えた普遍性を有しているので全体的にはあまり時代を感じさせません。

そもそもこのアルバムを探し始めたきっかけはやはりサウンドストリートで『メトロポリタン美術館』を聴いたからなんですが、CDの音圧が少し低いのと意外と構築感の強いバックトラックだったため少し違和感がありました。聴いた時はインパクトあったんだけどなあ。やっぱりリマスターの力を借りないと今の耳には響きませんね。

大貫妙子の作品をあまり繰り返し聴かないのは何故かと考えると、こうした純粋なポップス感があるように思います。勿論いいんですが綺麗過ぎて格調の高さにどうしても耳が遠のいてしまう。個別の楽曲は粒が立っていていいんですが、作品全体として敷居が高く感じてしまうのはやはり声質によるところが大きいのかな。いい声で好きなんですけど向こうの方にいってしまうような感じとでもいいましょうか。クラッシックみたいなイメージですね、言うなれば。

『お天気いい日』という曲が収録されていてとても可愛い音が鳴っているんですが、これは鈴木さえ子のアレンジでした。これは弾けている。『緑の法則』の頃の音ですから悪いはずはないですが、こうした小品で真価を発揮しますね。このアルバムの出発点である『ピーターラビットと私』は有名曲だからいいとして肝心の音がショボイのはちょっと考えものでしたね。『タンタンの冒険』と合わせて折角の坂本龍一バリバリの頃のアレンジですので、こちらはリマスター盤をきちんと聴くべきかなと思いました。ほとんど『未来派野郎』の音です。この時期一瞬でしたね、こうした音は。この2曲についてはよくも悪くもMIDIに残した「時代の音」だと思います。『コパン』をちゃんと聴かないといけませんね。