矢野顕子『飛ばしていくよ』

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電子音楽とのセッション。

しばらく音飛びが続いて調子が悪かったCDプレーヤーを騙し騙し使っていましたが、遂に昨日買い替えました。安物ではありますが、これがなかなかに音が良く、昨日は大分多くの作品を聴き返しました。新しいものというのはそれだけで嬉しいものですが、やはり音は大事ですね。

やっと手にした矢野顕子の新譜。発売時にいくつかのTV出演を目にしましたが、今回は何といっても80年代との邂逅。往年のテクノポップへ回帰した作品として各方面とも同期しているひとつの潮流の現れと捉えていました。オリジナル・ラブを皮切りに高橋幸宏がMETA FIVEで再現した当時の質感を現代に昇華させたような音楽。来月には年頭のライブが作品化されるようですが、決してメジャーにはなっていないこの回帰現象をどう考えていくか。ここを考察するサンプルとして矢野顕子の新作は格好のアイテムです。

実際には得意技である他流試合の延長として、たまたま今回は電子音楽に統一した、というだけのことと考えることも可能です。きっかけがどの辺なのか分かりませんが、すべての曲にピアノが入っていて、ライブの映像等でもまるで電子音楽とセッションしているかのような雰囲気。これは80年代と現代に続くテクノポップの流れをひとつの素材として捉えている現れではないかと。それが証拠に、しばらくこの流れでいくかと思いきや、次のさとがえるコンサートではTin Panとの演奏になるという告知がなされています。ということは今回のスタイルは一時的なものということです。

高橋幸宏がIn PhaseとMETA FIVEを使い分けているように、ある時代の音の質感として80年代の電子音楽がひとつの選択肢として選ばれているだけの話。とはいえここの音に今多少なりとも勢いがあるのも事実です。というより脈々と受け継がれている流れをオリジネーターとして見過ごせなかった、ということなのではないでしょうか。

砂原良徳のアレンジである『在広東少年』の現代版ライブYMOの音像に懐かしさだけではない感触を抱くのは、今この音を選択する必然性を雄弁に物語るひとつのエビデンスです。今回の一件は潮流というより定着に着目したのではないか。そんなことを考えながら聴いた作品でした。