坂本慎太郎『ナマで踊ろう』

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『空洞です』以降の坂本慎太郎は一貫して聴きやすくて、その中に恐ろしい贈り物を潜ませている楽曲を届けてくれています。今回も世界滅亡後の常磐ハワイアンセンターで流れているような音楽、という触れ込みで本人が語っていますが、目指した世界にはほぼ到達しているように思います。

ゆらゆら帝国は『空洞です』と『ゆらゆら帝国で考え中』しか持っていないんですが、後者の方の歌詞に出てきた「漫画の世界」という言葉が本作に関連する記事で目につきました。坂本慎太郎に漂う凶暴な幼児性は日本に特有な社会の傾向で、戦後の日本人にはもれなく特性として保有されている要素だと思います。勿論自分も例外ではない。だからこそ共感できるんでしょう。その極北がオタクであり、それは今や世界に輸出されるまでになりました。そうした要素を直接的ではなく音楽の世界観に内包して世に差し出しているのが坂本慎太郎です。

意図的に分かりやすくした楽曲。それは商店街や場末のクラブで流れていてもおかしくないように戦略的に作り込んで、そこに漫画的な終末思想を乗せていく。ある意味藤子不二雄の劇画のような感触です。シリアスなメッセージが子供にまで届いてしまう。それが今回意図したことなんでしょう。

もうひとつは「時間」。本人のインタビューで、既に亡くなった人の声が昔の音楽には刻まれている、あるいは今立っている場所にかつては侍が立っていた、等といった趣旨の発言が見受けられましたが、その時間の経過というものに怖さを感じているような節があります。それを感覚的に恐怖感として受け取っている。坂本慎太郎に漂っている死の感覚が怖くて、父が亡くなった直後には作品が聴けませんでした。このあたりを分かってやっているのか、あるいは本人がまだそうした局面に直面していないから出来ることなのか、そのあたりは分かりませんが、少し気になるところではあります。