パール兄弟『六本木島』

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1990年という年は自分が学生時代の最後を過ごした時期ですが、当時既に渋谷系の萌芽があったことに気付くのはずっと後のことになります。このアルバムが発売されたのは90年の6月ですが、同時期にはピチカート・ファイヴの『月面軟着陸』がリリースされており、フリッパーズ・ギターの『恋とマシンガン』がチャート・インしています。そんな中で80年代のニュー・ウェーブを引きずったパール兄弟が圧倒的な演奏の完成度を持って世にどんな形で作品を提示しても時代とのシンクロは図れていなかった。

一方でサエキけんぞうの作品というのは作詞が中心なので、音楽としてはパートナー次第でその質感が変化する。パール兄弟はやはり至極真っ当な音楽に聴こえてしまうので、これは周囲が期待する一歩捻くれた路線とは一線を画しているものにならざるを得なかったんではないでしょうか。やはり構築の果ての物足りなさが漂う出来となっています。このアルバムも。

パール兄弟は紙ジャケを見かけたら買うようにしていますが、その世界観に心酔できるかどうかは別問題。ここではむしろその時代を聴くべきなんでしょう。あるいは全体像でしょうか。たまたま昨日聴いたsclapからはバカボン鈴木繋がりとなってしまいましたが、いわゆるスタジオ・ミュージシャン、裏方系の人達が前面に出た際の普通さ加減が悪い形で出てしまった作品群と、同じ系統でありながらムーンライダーズのように抗えない個性を永続性を持って提示できるバンドとの差は何か。端的に楽曲の善し悪しのようにも感じますがどうもそれだけではないような気もするので少し考えていきたいと思っています。