YMO『Winter Live 1981』

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中期YMOの音源や映像素材は一部を除いて一向に再発の兆しがありませんが、たまたま今回本作を中古で発見したので手にとりました。95年という時期に謎のリリースをなされ、音源は映像素材からの借用という酷い代物ではありますが、当時の音を楽しめる唯一の作品ではありますので、ここから81年に思いを馳せてみようという訳です。

思えば、「京城音楽」や「灰色の段階」といった中期の楽曲をライブで再現したのは11年のこと。そこからMETAFIVEでのテクノリサイタルまで更に3年。都合81年から数えると30年以上が経過していることになります。ここまで消化に時間がかかるのか。かかるんです。

ウィンターライブの映像はVHSで観ていましたが、映像も音も攻撃的でかつ一部に若干時代性を感じさせる気恥ずかしさも兼ね備えていて直視しかねますが、それでもかなり実験的ステージであることは確か。当時の坂本龍一サウンドストリートを聴くと、81年の11月にリハーサルを始めたということですので、もう直前にやっていることになります。初回は11月24日の仙台公演からですので。

『テクノデリック』の発売が同じく11月。前月には坂本龍一のソロ『左うでの夢』、翌月にはビートニクスの『出口主義』が発売されているという事実は注目に値します。この量産体制。いかに81年にメンバーが働いているかがよく分かります。そしてここで発信したメッセージが後々30年以上に渡って引き継がれて今に至る。METAFIVEの、あるいは砂原良徳の音に感じる当時の再現と現在へのアップデートは熟成とはまた違った愛を感じます。

82年に入るとYMOは一旦活動を停止することになります。『浮気なぼくら』の録音に入るのは10月から。実質活動が表に出て来るのは83年からとなりますので約1年のブランクがあった。実はYMOとしての活動には81年の段階で既にケリはついていて、そこから先はファンサーヴィスとなる。観ている側からは大衆への迎合に映りましたが実はそうではなくて、やるべきことをやり切ってしまった、その位この時期は濃密だったということなんだと思います。