ムーンライダーズ『FINAL BANQUET 2016 〜最後の饗宴〜』disc 2

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後半は定番系でまとめて盛り上げていくスタイルでした。ここが個人的にはついていけないところで、ライダーズにこうした要素は不要なのでは?という固定観念がずっと抜けないでいます。コンサートなので仕方ないですが、ムーンライダーズというのは各個々人のもので、まとまって楽しむものではない。そんな痛いバンドだと思うんですね。ファンも個人がそれぞれにバンドと向き合っていて、連帯などそもそも求めていないのではないか。

 

などと御託を並べていても仕方がないので先に進めますが、ずっと時代ごとのライブ音源を聴いていて気づいたことがあります。それは今現在定番化しているものは必ずしも最初から想定されていたものではない、という至極当たり前の事実です。「トンピクレンッ子」などは80年代には「この曲は久々だな」などとコメントされていたし、「ヤッホーヤッホーナンマイダ」なんかも最近になって煽りが入っているに過ぎません。なので決してこれらが定番ではないんだ。

 

自然発生的に求められていったのは「スカーレットの誓い」や「くれない埠頭」、古くは「砂丘」や「鬼火」あたりではないかな。そんなことを感じつつ、当日も後半は白けて観ていました。甚だ失礼ながら。

 

とはいえ、非常にこのバンドが優しいなあと感じるのは、亡くなったかしぶちさんや今回の武川さんに対して無償のサポートを行うところです。「ゆうがたフレンド」にも歌われていた通り、「葬式にもきっと来てくれる」友達に対してエールを送るのを忘れない。これはハイジャックから武川さんが帰還した時もそうでした。この温かさがムーンライダーズを根っこのところで支えている。それはとても美しいことだと思います。

 

そしてこのコンサートの白眉は実は「さよならは夜明けの夢に」にある。そこではやっとボーカリストとしての自我に目覚めた岡田徹の素敵な、エフェクトなしの声が聴こえてくる。この曲で全てが救われていくように感じます。直近の岡田さんのソロアルバムとこの辺は直結していますね。これがこの時点での裏テーマでした。こうした現在進行形がこれからもいくつか見れるといいのになあ。