久々に聴いた遠藤賢司の79年リリースのこの作品、何故自分はかつてこの音楽を受け入れられなかったのか、考えながら聴いていました。
元々はセックス・ピストルズとクラフトワークに触発されて制作されたようですが、時期的にも78年の制作ですので、パンクやテクノが流れていた時期に符合します。それが遠藤賢司のフィルターを通すとこうも異化されてしまうのか。この普通の人がついていけない感じに違和感があったし、何より音がダサい気がした。突然変異みたいな音楽に耳がついていけなかったんですね。
遠藤賢司という人の個性に理解が足りなかったのも原因だと思います。静と動が並列で同居する振り幅の大きさと、一見異様なようでいて実は真っ直ぐな想いが言葉に込められていて、音楽が後からついてくる感じ。この落差に耳が馴染むかどうか。今なら分かる。そんな感じです。
名盤と言われているから聴くのではなくて、聴いてみてどうか。それはこの作品だけではない遠藤賢司の世界の一側面として位置付けるとしっくり来ます。