YMO『テクノデリック』

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81年にYMOはもう一枚アルバムを出しています。それがこの『テクノデリック』ですが、後から考えるとYMOはこの時点で解散していてもおかしくなかった。はっぴいえんどの『風街ろまん』と同じように、ここでYMOはもう「やり切っている」わけです。その後は文字通り「サーヴィス」だったんですね。

 

YMOはファンの期待をいい意味で裏切り続けるバンドだと言われていました。最初が『BGM』で売れ線にピリオドを打ち、次が『浮気なぼくら』で思い切り歌謡曲に振れる。しかし、そうではなくてYMOはこの『テクノデリック』で自らのYMOとしての創作意欲の頂点を極めていた。もう続かないのに周囲の期待に応えるため、パロディのようにファン・サーヴィスを行なったのが後半の作品群だった。そう捉えるのが自然でしょう。

 

『BGM』が鬱だとしたら『テクノデリック』は躁。それくらいこのアルバムは力強いんですが、どちらもビョーキなので基本的には暗い音楽です。しかし、冒頭の「ジャム」でのビートルズ風なコーラスから入るイントロからしてとても明るい。もうこの時点で『BGM』とは違うわけです。

 

アルバムの最後に「プロローグ」と「エピローグ」という2曲が続けて収録されていますが、『テクノデリック』をコンセプト・アルバムのように仕上げるのであれば、この2曲を冒頭と最後に配することもできたでしょう。しかしそうしなかった。『テクノデリック』はメンバーのコーラスで始まる。「声」によってフィジカルに、明るくスタートするのがこのアルバムには合っていると思います。

 

楽曲はどれも最高ですが、発売当時は「新舞踏」や「京城音楽」でのケチャのような音に本当にびっくりしました。こんなことをやるなんて凄いなあ、とただただ呆然としていましたが、聴き込んでいくと最終的には「灰色の段階」にとどめを刺す。これは本当に渋くてカッコいい曲です。この曲からは風景が感じられる。

 

しかし、全体を通じて言えるのは、楽器の音がカッコいいということです。特にドラムは本当に痺れる。フレーズも最強です。この切れ味鋭いドラムの音が『テクノデリック』を特別なものにしている。「生の音」のカッコ良さを象徴しています。それもテクノのジャンルで。

 

ピアノもいいんですね。「体操」でのミニマルなピアノの繰り返し。「階段」での廃墟に響くような美しいソロパート。こうした生楽器の魅力が陰でしっかり支えていて、かつ前面に出るのは人の声や工場の音のサンプリング音。この革新性が『テクノデリック』の切り開いた地平なのです。

 

今回のリマスターの音は『BGM』同様、細部がよく聴こえますが、それぞれの音が際立っていて、きちんと分離されて総体として迫ってくるので、とても恐ろしい感じがします。情報量が多い。多いのはそれぞれが独立して聴こえるから。曖昧さを排除したように潔い音だと思います。