フェネスサカモト『flumina』disc 2

f:id:tyunne:20201122044506j:plain

10年ごとに色々なことがあって、01年のテロから2011年の震災、そして今年はコロナで1年が終わってしまう訳ですが、2011年の場合は物理的に地面が揺れて電車に乗っていても非常に怖かったのでまだリアリティがありました。

 

加えて強烈な災害とその後の放射能という恐怖。震災直後の暗い街がもたらす時代を巻き戻すかのような不思議な感覚。これが最近も起こっているような気がします。

 

坂本龍一のソロ作品にインターバルが開くようになってから、その変化が益々現代音楽、というより音そのものへ向かっていく様を見るにつけ、「ああ、もうポップ・ミュージックというものは終わりを迎えているんだなあ」と感じていました。

 

しかし丁寧にミッシングリンクを追ってみると、浮かび上がってくるのはピアノの音。そして背景の環境ノイズ。その組み合わせがたっぷり味わえるのがこの作品で、静かなピアノの音が時折聴きたくなってターンテーブルに『BTTB』や『Playing The Piano』が乗ることは多かった。今回の作品もその仲間に入るような気がします。

 

ここに刻まれた音が内省的であるとか鏡像であるとかを考えていく前に、身を委ねることの意味を考えてみたいと思っています。その理由は時間感覚にあって、やはり自分の年齢が関係している。この連休はずっと家にいて過去のホームムービーの編集をしているんですが、平気で20年以上の時が遡ってしまって、あっという間に過ぎていく時を感じざるを得ない。

 

これが逆説的に普段の日常の静かな淡々とした時の過ごし方に重ね合わせて考えらえてしまって、何か貴重な時間のように感じられるんですね。この作品の音はそんな時間に響いてくる音だと思います。