岡村と卓球『The Album』


岡村靖幸と石野卓球が組んだ03年リリースの作品。こちらもずっとスルーしていましたが、今回やっと手に取りました。

 

自分は岡村靖幸についてはずっと避けてきたのできちんと向き合ったことが実はありません。ただ、ワールド・ハピネスで目撃した圧倒的なライブや、坂本龍一と一緒に大貫妙子のトリビュートに参加した作品など、折に触れていい音源に接しているので、いつかはきちんと聴かねばと考えています。どうしても疑似プリンスみたいな振る舞いが生理的に嫌だったんですね。でもやっぱりポップでいいミュージシャンだとは思います。

 

この作品は石野卓球が当時は比較的シリアスモードだったので結構ハードな音がたくさん入っていますが、基本は単独よりもポップ寄り。他人と組むと電気グルーヴっぽくなってくるのは社会性と客観性が入り込んでくるからなんでしょう。面白いユニットだと思いますがパートナーは石野卓球にとってきっと入れ替え可能な存在なんだと思います。そのくらいおっかない人なんじゃないかなあ。

高橋幸宏『THE DEAREST FOOL』


99年リリースの本作は21世紀の高橋幸宏の活動の予言書のようになっています。加えて、YMOからビートニクスへとつながる流れとして90年代を総括して次の世紀へ移行していく。そんなヒントがたくさん詰まっているアルバムです。

 

EMIイヤーズの捉え直しと追悼の意味を込めて今回の一連の再発作品を聴き進めてきましたが、そこでの第一の視点は「ビートニクスの変装形」です。YMOで疲れ切った精神を鈴木慶一がまるでヒーラーのように癒してくれた。88年リリースの『EGO』の前年にはビートニクスの2nd『Exitentialist A Go Go ビートで行こう』がリリースされていて、ここでの日本語ポップス路線がその後の高橋幸宏の方向性を決定づけている。これが90年代の前半だとして、後半は徐々に電子音が復活していきます。そしてビートニクスの3rd『M.R.I.』が2001年のリリースですので、ここにつながると当初は思っていました。

 

しかしそれは違っていた。後半の活動は2002年のスケッチ・ショウの1st『Audio Sponge』に直結していました。この作品はそもそも高橋幸宏のソロ作品を細野晴臣がプロデュースする、という話から始まっていて、結果的にユニットに発展していきました。そこに坂本龍一も合流してYMOの復活につながるわけですが、見方によってはYMOから鈴木慶一が一旦高橋幸宏を引き取って、回復したらまたYMOに返してあげるプロセスだったと捉えることもできます。この流れには当時は気付きませんでした。

 

さらに第二の視点は「21世紀の予言」です。本作の中盤には砂原良徳高野寛、スティーヴ・ジャンセンとの共作が畳み掛けるように収録されていて非常にスリリングなんですが、これはある意味その後のMETAFIVEやpupaの活動を予言している。YMOだけではなく後進世代との邂逅を成し遂げた二つのバンドの予言書にもなっているという感動的な展開がこのアルバムにはパッケージされている訳ですね。これはなかなか凄い。

 

そこまで考えなくとも単純に楽曲に勢いがあって楽しく聴けるアルバムに仕上がっています。冒頭の「世界中がI love you」という曲が高橋幸宏の還暦ライブの冒頭を飾ったことからも、このアルバムの位置付けが透けて見えるかのようです。そしてここで高橋幸宏の90年代が終わった。日本のポップスの質をあげるために懸命に奮闘したディケイドだったと思いますが、最後はまるで80年代のアルファ時代に戻ったかのような勢いが出てきて後のスケッチ・ショウやYMOに繋がる。更にpupaやMETAFIVEにも補助線が引かれているという素晴らしい瞬間を閉じ込めている作品です。

高橋幸宏『A RAY OF HOPE』


高橋幸宏の追悼も今月で最後にしようと思っていますが、こちらは98年リリースの作品。コンピシオのオムニバス的な位置付けですが、山下達郎の『Ray Of Hope』の10年以上先を行っているタイトルですね。

 

しかし今回EMIイヤーズの作品を聴き直してみて本当にいいアルバムが多くてびっくりしました。砂原良徳さんありがとう。丁寧なリマスターのお陰でその価値に改めて気づくことができました。

 

このアルバムもタイトル曲からして本当にいい曲ですが、この辺りのアプローチにはレーベルの経済問題から売れ線狙いの意図もあったのかもしれません。そういった意味では坂本龍一の『スムーチー』や『スウィート・リヴェンジ』の時期に近い。ただしそのストレスに反して差し出された作品はさりげなく高質で、結果的に時代を超えて聴くことができるクオリティを併せ持っています。

 

高橋幸宏の作品の定番は何曲かのカバーといい曲が何曲かとコラボ作品がいくつか、といった感じで定型が成立しつつあった。これが21世紀以降に少し変わってくる訳ですが、ここまでの作品群は一連の旅の行程のように聴くことができる。それはいってみればビートニクスの変装形が前半で、後半に電子音楽が復活してその後のスケッチ・ショウに繋がっていく。その大きな流れに90年代を使ったということになると思いますが、それはまた次作の『THE DEAREST FOOL』で考えてみるつもりです。

小沢健二とスチャダラパー『ぶぎ・ばく・べいびー』


今夜はブギー・バック」から30年ということで、小沢健二スチャダラパーが再度邂逅しました。今回の方が断然カッコいいですね。

 

94年に「今夜はブギー・バック」が出た時は小沢健二の歌がなんとなくゆっくりしていて、ちょっと冗長な感じがしました。しかし、だからこそ良かった。きっと歌いやすくて覚えやすかったんだと思います。翻って今回はどうかというと、より複雑で高度。特にラップの裏で歌が入る瞬間とかは抜群です。珠玉の3分間ですが、歌えて覚えやすいかというと、そこは難易度が高い。

 

ボーナストラックで入っている4人の対談は30年間を30分で振り返る内容に結果的になっていますが、これも聴きごたえがあります。「人口の70%は昭和生まれ」「90年代は別に面白いと思っていなかった」みたいな話にはハッとさせられますし、今の方がものづくりとしては余計な気遣いがなくてやりやすい、みたいな話もいちいち納得できます。

 

30年という時が以前に比べて感覚的な長さを持たないことを証明するかのような文化的な事象が今回のリリースになっていると思います。

石野卓球『KARAOKEJACK』


01年リリースの石野卓球ソロ4作目。このアルバムは以前持っていたような記憶がありましたが、当時購入したのは「stereo nights」のシングルだけでアルバムは買わなかったのかもしれません。いずれにせよCD棚にはありませんでした。

 

この作品から吹っ切れて抜けが良くなったといわれていますが、確かに音はシンプルでシリアスな感じはあまりしないものの、ある一定の難解さを内包しているのは相変わらずで、一般向けではない作品のような気がします。

 

四つ打ちのストイックなビートで延々と進んでいく感じは無駄がなくて好感が持てますし、そもそも訴えたいことなんて何もなくて空虚。その暴力性、聴き手を突き放したような感じが石野卓球の真骨頂のような気がします。自分のために音楽をやっている。決して寄り添わない。電気グルーヴはちょっと違いますが。

 

意味なんてなくて時代なんて追わない。そもそもそうした言説を真っ向から否定している。その辺りの厭世的な感じが孤高だし、おっかない人ですね。

ビル・エヴァンス『Unknown Session』


しばらくジャズから耳が遠のいてしまっていますが、マイルスとビル・エヴァンスだけは別で、コンスタントに掘り起こしています。本作は62年録音。同時期の『インタープレイ』と若干メンバーを変えて録音されたもので、長らくお蔵入りしていた音源とのこと。メンバーは下記の通りです。

 

ビル・エヴァンス(p)

ズート・シムズ(ts)

ジム・ホール(g)

ロン・カーター(b)

フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

 

インタープレイ』ではフレディ・ハバートがtpで入っていましたので、そこがズート・シムズに変わった形ですが、ズート・シムズも割と気に入って聴き進めようと思っていたプレーヤーなので、ここでの参加は嬉しいところです。

 

結構な豪華メンバーですが、この作品は聴こうと思っていた『インタープレイ・セッションズ』と内容が重複しているようなので、ここで聴けて良かった。どの曲もお蔵入りには勿体無い出来ですが、若干のラフさも感じられます。でもそこも含めていい演奏ですね。ビル・エヴァンスはピアノトリオの演奏がメインなので、こうしたホーンやギターも入ったセッション音源はそれだけで貴重。楽しく聴き進めることができました。

マイルス・デイヴィス『At Plugged Nickel, Chicago』


65年録音のこのライブ演奏は元々はVol.1とVol.2に分かれてリリースされていた作品です。2枚組の中古を見つけたので今回手に取りましたが、これは本当に凄い演奏。満を持して参加したウェイン・ショーターを抱える壮絶なクインテットです。パーソネルは下記の通り。

 

マイルス・デイヴィス(tp)

ウェイン・ショーター(ts)

ハービー・ハンコック(p)

ロン・カーター(b)

トニー・ウィリアムス(ds)

 

何が凄いってトニー・ウィリアムスのドラムが凄いんですが、この時期のマイルスは『カインド・オブ・ブルー』で確立したモード路線と『ピッチズ・ブリュー』に代表されるエレクトリック・マイルスの狭間に当たるような時期で、なんとなくこれまで見過ごしてきてしまいました。その間をつなぐ上で一番重要なプレーヤーがトニー・ウィリアムスで、この刺激的な演奏は他の追随を許さないと思います。

 

とにかく早いんですが、『フォア&モア』でも驚いた「So What」や「All Blues」の演奏がここでも早い早い。もはやテーマもそこそこに勢いで突っ走る様はまるで別人格を見ているかのようです。短期間でのこの変貌に当時のリスナーは果たしてついていけたんだろうか。

 

ウェイン・ショーターの演奏も地中から這い上がってくるかのようで、全体的にも不気味な迫力が漲っていますが、聴いた感触がなぜか爽やかなのは気のせいでしょうか。そこには実はハービー・ハンコックの貢献があるように思います。