大滝詠一『EACH TIME』


この度40周年記念盤がリリースされることになった大滝詠一のラスト・アルバム。こちらはそのニュースを聞く前に30周年記念盤を手にしました。

 

ずっと『EACH TIME』は聴いてきませんでした。それが何故かは判然としないんですが、何となく『ロング・バケイション』の影に隠れているところもあったし、様々なバージョンが出ていて何が正式なのかよくわからなくなっていたところもあった。実際、リリース後に曲順が変わったり収録曲が変わったりしています。

 

聴いた後の違和感が譜割の複雑さの欠如にあった、という話もあり、実際にそのシンプルさに手が伸びなかったのか。あるいは『ロング・バケイション』に比べて後々まで残る楽曲が少なかった、などといった理由がありそうです。

 

音楽はスタンダードで美しいのに、その後の言説が敷居を高くしている。この辺りの捩れ現象は山下達郎にも言えそうですが、自ら自作を語り尽くしてその生涯を閉じたミュージシャンも珍しいし、そこに更なる謎解きを加えて聴く側も楽しみ続けるという稀有な事象が発生している。『EACH TIME』はその犠牲者なのではないでしょうか。

 

しかしながら、この作品は「訂正する力」を地で行っているともいえるかもしれません。小坂忠も晩年に『HORO』を歌い直したし、高橋幸宏も『サラヴァ』を歌い直した。細野晴臣は『HOSONO HOUSE』をセルフ・リメイクしています。ミュージシャンは活動末期にこうした所作を行うのかもしれない、などと考えさせられました。