大滝詠一『大瀧詠一 乗合馬車(Omnibus) 50th Anniversary Edition』disc 1


大滝詠一のファースト・アルバムが再発されました。これは待望。ファーストは92年の再発盤で聴いていたんですが、音が小さくて今ひとつ聴き込めずにいたので今回の再発は非常に嬉しい。特に「それはぼくぢゃないよ」が大好きでした。

 

大滝詠一の音楽はどうしても言説先行になりがちなので、ご本人も含めた解説がテキストとしてまずは流通してしまいます。それはそれで楽しいんですが、まずは音。たった30分ではありますが、今回作品に向き合ってみてどう感じたかを記録しておこうと思います。

 

一番びっくりしたのは冒頭の「おもい」です。あれ?これってステレオだったっけ?と思って以前の92年再発盤を聴き返してしまう程分離がはっきりしていて生々しい。別物かと思いました。かつての再発盤を聴き返してみると、92年盤の方は音も小さいし全体にまろやかに聴こえてくる。2曲目の「それはぼくぢゃないよ」でも同様でした。今回の音は全体的に非常に生々しいです。まるでキャプテン・ビーフハートのよう。

 

曲順や構成も変わっていて、本来大滝詠一が望んでいた「シングル6枚をまとめたもの」というコンセプトに沿った形に再構成されています。アルバムとは本来シングルの寄せ集めだった。

 

こうした考え方はヴァン・ダイク・パークスも以前に『Song Cycled』という2013年の作品で実現していますが、かつては確かにシングル中心のリリース形態だった。そして現在サブスク全盛の世の中になって、またそうした単独楽曲中心の発表形態に回帰しつつあるのは周知の通りです。

 

80年代のスクリッティ・ポリッティコーネリアスの1stなんかもそんなイメージでしたね。ヒット曲を集めたアルバムにする、といった話だったと思います。はっぴいえんどでロックの世界に踏み込んだことを自分本来のポップス気質から離れた活動として捉えていた大滝詠一がソロ作品でポップスに回帰したのは必然。しかし、この1stでは細野晴臣も指摘した二面性が宿っています。

 

ロディアスな路線とノベルティ路線が同居しているので、「どちらかに絞った方がいい」というアドバイスを受けて後の『ナイアガラ・ムーン』と『ロング・バケイション』が生まれた。そう考えるとこの1stが習作のように見えてしまいますが、元々オムニバスだったんだからいいでしょ、というカウンターに今回の構成がなっている、と捉えるのは考え過ぎでしょうか。

 

いずれにしてもコンセプト以前に音にびっくり、というのが今回の印象です。