はっぴいえんど『WITH はっぴいえんど 〜バッキング音源集〜 (VERY BEST OF PRODUCTION WORKS)』

f:id:tyunne:20210912060649j:plain


最後はバッキング・ミュージシャンとしてはっぴいえんどのメンバーが参加した音源を集めたディスクです。これも、はっぴいえんどというバンドを立体的に捉える良い参考資料となっています。

 

ここで考えたことはたった一つ。「大滝詠一はフロントマンである」ということです。冒頭に遠藤賢司の音源が収録されていますが、ここでは大滝詠一を除く3名が演奏に参加しています。大滝詠一は最初はスタジオにいましたが、自分の役割はそこにはないと感じて途中で帰ってしまったといわれています。ここがポイント。

 

細野晴臣はっぴいえんど解散後にスタジオ・ミュージシャンとしての集団、キャラメル・ママを立ち上げたのに象徴的なように、プレーヤーとしての自覚が強い、というより元々ベース・プレーヤーとして超一級なので、そうした活動にも自然に移行できるし、フロントに立つことも左程志向していない。鈴木茂もギター・プレーヤーだし、松本隆もこの頃はまだドラマーの顔も持っていた。

 

この3人プラスフロントに立つボーカリストがいればバンドは成立する。逆に言えばフロントは代替可能な訳です。あくまでフォーマットとしての話ですが。それは遠藤賢司であっても岡林信康であっても高田渡であってもいい。勿論作家性とバンドのアイデンティティの問題があるので、はっぴいえんどとしては大滝詠一は不可欠ですが、演奏家として考えると、そこには交換可能性が立ち上がってくる。だからこのディスクには大滝詠一のソロ作品も収められている訳です。

 

このボックスを初めて聴いた時に一番耳を捉えたのは金延幸子の「時にまかせて」という曲でした。物凄く洒落ていてカッコいい曲です。すぐに『み空』を買いに走ったような記憶があります。

 

はっぴいえんどの聴き直しはこれで終了。今回改めて聴いてみてやはり沢山の発見がありました。聴く側が変われば感じるものも変わってくるんですね。語るのではなくまずは聴くことが大事です。

はっぴいえんど『はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー 〜レアリティーズ〜 Vol.2(ULTIMATE LIVE HISTORY VOL.2 1972)』

f:id:tyunne:20210911054945j:plain


次は72年のライブ発掘音源。ここでの演奏は「拡散」がポイントだと思います。

 

冒頭から大滝詠一のソロ曲である「それはぼくじゃないよ」でスタートしますが、この72年4月のライブはほとんど大滝詠一のソロ・ライブと言い換えてもいい。「はいからはくち」は後の「ウララカ」だし、「びんぼう」もあるし。

 

ここで思ったのは、何故はっぴいえんどが「ライブが下手だ」と言われてきたのか。その理由は大滝詠一が走っている点にあるような気がするんですね。恐らくはこうしてどんどんとアレンジを変えることを突っ走ってやっているはずで、それはリハーサルなしで事前のちょっとした話し合いで実行された。こうしたやり方を鈴木茂も振り返って、若干苦言を呈していました。そこでの一体感の欠如や準備不足がステージに出てしまっている。決して演奏技術は各々低くないのに、結果として演奏がバラついてしまった。

 

鈴木茂のバンド、スカイが再結成されて新作がリリースされることが発表されましたが、そこでも収録される「ちぎれ雲」であったり、細野晴臣小坂忠に提供した「どろんこまつり」であったりと、貴重な音源が続々と演奏されていきますが、そうした活動の振り幅がはっぴいえんどというバンドの終末を表している、とも言えそうです。

はっぴいえんど『はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー 〜レアリティーズ〜 Vol.1 (ULTIMATE LIVE HISTORY VOL.1 1970-1971)』

f:id:tyunne:20210910070212j:plain


ここからは発掘音源となります。まだヴァレンタイン・ブルーと紹介されている頃の70年4月の演奏から始まりますが、この時点でまだ1stもリリースされていない。ごく最初期の録音からスタートして、全日本フォーク・ジャンボリーの音源へと繋がっていきます。

 

2つのことを感じました。まずはライブ音源ということで当然と言えば当然ですが、「作家性」「精神性」よりも「肉体性」が前面に出ている、ということ。とにかく細野晴臣のベースがうねっていてカッコいいし、鈴木茂のギターも唸り声を上げています。松本隆のドラムも肉感的で素晴らしい。

 

細野晴臣の楽曲「しんしんしん」を大滝詠一が歌うバージョンが収録されていますが、やはりこれだけ細野晴臣がベースをブンブン弾いていると、これを演奏しながら歌うことは難しいだろうな、と思います。でもそれによって大滝詠一の脂の乗ったボーカルと相まって非常に逞しい演奏となっています。これは聴きもの。

 

2点目は遠藤賢司のカバー曲にあります。「雨あがりのビル街」をカバーしているんですが、はっぴいえんどの日本語詞のヒントになったのは遠藤賢司の歌だった、という話もあるので、ここでのカバーは必然。初期の遠藤賢司のアルバムにははっぴいえんども演奏で参加しています。ここが聴き手にとって、いきなり出てきた謎の日本語バンドを位置付けるためのヒントになっている。

 

演奏している場は全日本フォーク・ジャンボリーですので、やはりフォークの領域のイベントです。ここで遠藤賢司のカバーや岡林信康のバックで演奏することによって、はっぴいえんどというグループがどんなことを志向しているのか、聴く側に理解させるきっかけを作ってあげているのではないかと推測します。

 

「そうか、ボブ・ディランが電気化したことを考えると、はっぴいえんどザ・バンドのようなものか」という理解であったり、日本語の歌詞の背後に聴こえる、というよりもグイグイと前に出てくる演奏からバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレイプの音を感じとったり、と色々な思いが閃いてくるのではないでしょうか。果たしてそこまでのリテラシーが聴衆側に当時あったのかどうかは不明ですが。

 

いずれにせよ、演奏が非常にいいので、ライブ音源とスタジオ音源をセットで聴いて初めてバンドの全貌が明らかになる、という基本的なことを確認できる貴重な音源集です。

はっぴいえんど『THE HAPPY END』

f:id:tyunne:20210905081557j:plain


85年のはっぴいえんど再結成ライブは「ALL TOGETHER NOW」というイベントの一環として行われました。

 

冒頭の大滝詠一の「はっぴいえんどです」の一言で男性2名が失神して倒れた、という話は象徴的です。この頃にして既に生ける伝説となっていたバンドなので、再結成自体夢のような出来事でした。しかし、もう既にそこにはかつての面影はなかった。

 

電子音をベースにしたテクノ系のアレンジがやはり違和感満載だったので、恐らく観ていた旧来のファンは本当にはっぴいえんどが終わったことを痛感したのではないでしょうか。そして、実ははっぴいえんどの再結成は、こうしたバンドとしてのものではなく、作家チームとして81年に成し遂げられていた。

 

それは細野晴臣松本隆のタッグによる「ハイスクール・ララバイ」であり、大滝詠一松本隆による『ロング・バケイション』であった。ここに来て日本の歌謡界、ポップスのフィールドではっぴいえんどのメンバーが作家としてヒットを飛ばしたことが、形を変えたはっぴいえんどの再結成だった。従って、こうしたリアルな形での再結成はフォーマットを変えるしか手が無かったとも言えます。

 

確か、初期の段階では大滝詠一の案による多数のギター奏者による演奏も検討されていたはずですので、仮にそういった形でステージが行われていたら、また違った印象を残したのかもしれません。しかし、実際には当時の細野晴臣のノンスタンダードレーベルのミュージシャンがバックコーラスで参加する形で幕を閉じた。ここはやはりテクノの領域に音を納めたということになります。

はっぴいえんど『ライヴ!! はっぴいえんど』

f:id:tyunne:20210904083133j:plain


73年の解散コンサート。久々に聴きましたが、演奏が非常にいいですね。はっぴいえんどはスタジオ中心のグループでライブは今ひとつ、という評判があったようなんですが、ここで聴ける艶っぽい演奏を聴くと、そうした定説が偽りであったことを知ることになると思います。

 

このコンサートは解散記念コンサートと銘打ってはいますが、実際には大滝詠一の75年からスタートするナイアガラ・レーベルの萌芽があり、細野晴臣の始動したキャラメル・ママの演奏があり、松本隆の初期活動として立ち上がったムーンライダースの演奏があり、といったオムニバス形式の内容となっています。

 

全ての演奏が収録されている訳ではないので実態が分かりづらいですが、実質解散状態にあったはっぴいえんどを再集結させて興行を催すには次の展開へのスコープが必要だった。そこに集結したのはシュガーベイブやココナツ・バンク、そしてまだ形を成していないムーンライダーズといった面々。この辺りが表に出てくるのは75年から76年あたりまで待たなければいけません。しかしスタート地点は73年の9月21日だった。はっぴいえんどの終わりは次の世代の始まりでもあった訳です。

 

そうした意味合いが込められているイベントではあれ、はっぴいえんど自体の演奏も非常に聴きごたえがある、というベーシックな事実がこの作品を価値あるものにしていると改めて気づいた次第です。

はっぴいえんど『HAPPY END』

f:id:tyunne:20210829080431j:plain


はっぴいえんどのラスト・アルバムは既に解散が決まってからLAで録音された作品です。松本隆は「今回ぼくはドラムだけ叩く。茂以外には歌詞は書かない」と宣言していて、実際細野晴臣は自作の歌詞で楽曲を制作しました。しかし、大滝詠一が渡米してから「歌詞が書けない」と言い出したので、仕方なく松本隆の詩集『風のくわるてっと』から2曲分を差し出した、という話。

 

松本隆に言わせると、この3rdアルバムは「存在してほしくない」作品、ということですが、実際にはいい曲も多くて、とても聴きやすいアルバムです。ビートルズの『レット・イット・ビー』もザ・バンドの『アイランド』も結構いいアルバムですよね。人間関係が良くなくても、いざ演奏となるとミュージシャンは音楽を楽しむことができる。

 

本作では鈴木茂の曲が3曲も入っていて、まさにジョージ・ハリスンのように後から才能が開花している。最初に聴いた時には地味に聴こえましたが、今聴くとその後のソロ作品『バンド・ワゴン』に繋がっているようで、とても興味深く聴くことができます。

 

細野晴臣の作品は冒頭の「風来坊」からして既にモダンで、必殺のキラー・チューン「相合傘」も入っている。こちらも1stソロの『HOSONO HOUSE』に直結しています。

 

大滝詠一は本作の前に1stソロ『大瀧詠一』をリリースしていて、既にソロ活動がスタートしていました。本作での「田舎道」「外はいい天気」の2曲もいい作品だと思います。少しこれまでと違うのは、はっぴいえんどのアルバムの中で唯一、大滝詠一のボーカルが7曲目になるまで聴こえてこないということ。この辺りは象徴的です。(「氷雨月のスケッチ」で少し聴こえますが。)

 

ラストの「さよならアメリカ、さよならニッポン」は、もはやアメリカからも日本からも学ぶべきものはない、というメッセージを投げかける曲ですが、ヴァン・ダイク・パークスアヴァンギャルドなアレンジと、お経のように繰り返すリフレインが続く特殊な楽曲です。聴いているとまるで応援歌や軍歌のような、普通の曲とは違う雰囲気を漂わせていて、どこか虚空へ向かって歌っているような、不思議な感覚を覚えます。

 

たった30分程度の収録時間ですが、内容的には濃厚で、しかも意外と聴きやすいという不思議なラスト・アルバムです。

 

もし仮にはっぴいえんどが続いていたら大滝詠一の『ナイアガラ・ムーン』や細野晴臣の『泰安洋行』のようなニュー・オーリンズ路線の音楽をやっていたのではないか、という発言を大滝詠一が新春放談でしていました。実際にはあり得なかった話ですが、そこに鈴木茂の大爆発した1stソロ『バンド・ワゴン』のグルーヴが加わったら一体どういうことになっていたのか。想像するだけで目眩がします。

 

ただし、松本隆が『風街ろまん』で既に燃え尽きていたので、歌詞の世界が持続しなかったでしょう。そうなるともはや「はっぴいえんど」ではない。やはり、はっぴいえんどはここで終わるべくして終わったんだと思います。

はっぴいえんど『風街ろまん』

f:id:tyunne:20210828082831j:plain


かつて新春放談で山下達郎大滝詠一に向かって「風街ろまんは大滝さんの曲に始まって、大滝さんの曲で終わる、大滝さんのアルバムですよね?」と問いかけたのに対して、大滝詠一は「いや、これはやっぱり「風をあつめて」なんだよ」と答えていたのが印象的でした。

 

「風をあつめて」という曲はその後の影響力がとても大きい楽曲で、かつてはニュー・ミュージックの源流、今ではシティ・ポップの源流などといわれています。やはりここでの松本隆の詞が「都市」を描いたものであること、しかもその「都市」は東京オリンピックで失われつつあったかつての東京の風景であったこと、ここが大きい。これが「風街」というコンセプトを体現しているわけです。

 

細野晴臣の曲作りもこの「風をあつめて」と「夏なんです」の2曲により大きく飛躍しました。ジェームス・テイラー風の低音ボーカルという手法を発見し、圧倒的に静かな世界を築き上げた。ここへ来て、大滝詠一細野晴臣の2大巨塔、「右手の煙突」と「左手の煙突」が足並みを揃えて前面化しました。しかしピークはここまで。

 

YMOが『テクノデリック』でやり切ったのと同様、はっぴいえんども『風街ろまん』で燃え尽きてしまった。ここから先はサービスのようなものです。

 

大滝詠一はここでも絶好調で、「颱風」をはじめとして既に諧謔趣味すら漂う要素もあり、余裕で遊んでしまっている。キレのいい名曲「抱きしめたい」ではイントロにリズムの仕掛けを持ち込み、「空色のくれよん」ではヨーデルも飛び出します。「はいからはくち」では既に多重人格の一角をなす多羅尾伴内が登場します。

 

「はいからはくち」はシングルとアルバムでバージョンが違って、まるでビートルズの「レボリューション」のようですね。ある意味『風街ろまん』は『ホワイト・アルバム』のようだとも言えそうです。

 

一番好きなのは「春らんまん」という曲ですが、結構「あしたてんきになあれ」も捨てがたいですね。このファンキーなリズム、そしてリフがボーカルパートの裏でも継続する様は非常に洒落ています。

 

強烈な完成度を誇るアルバムなので、今後も折に触れて聴き返すことになると思います。