ティアーズ・フォー・フィアーズ『The Seeds of Love』

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振り返ってみたらおよそ5年ぶりに買い直したことになります。89年リリースのこの作品は前作の大ヒットの波に揉まれて強烈なプレッシャーの元迷い悩んで作り上げた大作だったようですが、5年前はそれをさらっとレンタルで借りてiPODに入れっぱなしでした。時折聴いては「やっぱりよくできてるなあ」と思い、「その内買わねば」と考えながらはや5年。時の経つのは早いですね。この歳になると早過ぎてびっくりしますが。

で、このアルバムはやはり前半がいいですね。気合いの入った楽曲が続く感じはスティーリー・ダンの『ガウチョ』にも似て非常に成熟かつ緊迫感のある音楽に仕上がっています。この二人は出て来た時は暗そうな少年たちといった風情でしたが、実際とてもナイーヴな人達なんだなあと思います。売れた後は誰でもそうなのかもしれませんが、真面目であればある程その重圧に潰されそうになる。今では80年代程音楽ビジネスが盛んではないのでこんな目には遭わないのかもしれませんが、軽く流せない人達なんでしょう。前作から間隔が4年も空いての作品となった。

想定以上に売れた後は短命に終わる、というのはやはり周囲に問題があるんだろうと思います。今にして思えば何故に60年代末のアーティスト達がドラッグに走って亡くなっていたかが分かります。要するに自分を高揚させて常に躁状態にしていないとやっていけないんですね。常に新たなものを生み出さなければいけない、あるいは周囲からそれを要求される。その中である人は自室に籠り、ある人は破天荒にパワーを吐き出し切って燃え尽きて行く。若いならそれもいいですが、かといって亡くなってしまうことはないでしょう。

一時期より病気の人は減って来たようにも思いますが、昨今もそんな時代でこれは情報化の急速な進展による社会の弊害のように思いますが、当時はそれがドラッグカルチャーと結びついていた。80年代はもうちょっと気楽な時代だったように思いますが、そこで彼等は真面目に自分と向き合った挙句、寡作になって分散してしまった。その辺の哀しさを感じる作品でもあるように思います。構築感が過剰な気がするんですね。

そこから最早四半世紀。毎朝聴いてるバラカンモーニングでは年代毎にピーター・バラカンが選曲するコーナーがあって楽しく聴いていますが、そろそろ90年代に入って来るはずです。ティアーズ・フォー・フィアーズも『ルール・ザ・ワールド』が85年の年間チャートに入っていたようですが、チャートを賑わす音楽が軽薄になって行った時代。それは欧米のみならず日本においても同様でした。そうした中でこういう真面目なアーティストが消えて行ってしまうのは寂しいことです。