スコラ 坂本龍一 音楽の学校 日本の伝統音楽編第3回

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「拍に気をぶつける」。なるほど、面白いことを言いますね。

今回は能と狂言がテーマでしたが、以前書いたように能には触れる機会が多少なりともあったので何となく親しみがありました。でもよく考えるとこれは結構異質な音楽で、とても奇妙な構成で成り立っている。その辺りが今回興味の的でした。

そもそも能は異界とのコミュニケーションであり、亡霊が登場する。一方狂言は人の話、ということでその対比にも興味が湧きましたが、何より能の無音の空間、あるいは引きの構成は雅楽へのアンチテーゼとして水墨画や石庭に顕著な禅の志向によるミニマリズムにヒントがある。この辺りは結構びっくりで、父親が元々禅を勉強していて、母親が能にはまっていたという環境に育った身としては合点のいく話ではありました。何か接点があったんだろうか。なさそうな気もしますが・・。

樹を象徴する筐体と生き物を象徴する皮でできた太鼓が主体であり、かつ石笛の太古からの異世界との交流を混ぜて隙間を作りながら音楽としていく。その本質はやはり「気」にあるように思えます。何故に演奏者があそこまで掛け声をあげるのか、それは気を発しているからで、リズムが主体になっているのではないとすると意味合いも分かろうというもの。不思議な文化だなあと思います。これが日本なのか。