フィッシュマンズ『ネオ・ヤンキーズ・ホリデイ』


93年リリースの3作目。90年代がどういう時代だったか、それが分かってくるのは世紀も変わる頃、99年から2000年くらいにかけて東浩紀を発見してからのことでしたが、93年当時はそのヒントも全くなくもがいていた時期でした。

 

そんな中で唯一ヒントをくれたのはスチャダラパーだったんですが、当時フィッシュマンズにも出会っていたら少しは理解が進んだんだろうと思います。『空中キャンプ』を手にするのは90年代の後半なので、この前半の音楽はやっと今手にして向き合っていることになります。

 

先日聴いた1stからは音像が変わっていて、自分の知っているフィッシュマンズに近づいているように思います。その背景にはZAKの存在があって、エンジニアによって繰り広げられる音の世界が掴み所のない異世界の扉を開いている。そのザラッとした手触りは不思議と手の届くところにあって日常に存在している。それが自然に反転して恐ろしい姿に変わる。その二面性が日常に同居していたのが90年代だった。そこに生きていた自分達はどうしようもない何も起こらない時間をただただ過ごしていくしかありませんでした。

 

フィッシュマンズがここから始まったんだとすると、既にそこから30年経った今はどうなっているのか。もうそんなにシリアスではないけれど、どうしようもない空虚感は減っているような気がします。