続いて96年リリース作品。当時のインタビュー記事を読むと、『曖昧な存在』に打楽器を加えたもの、とのことで、実際にそのような出来栄えとなっています。
前作に漂っていた坂本龍一感が薄れて、よりアート・リンゼイの表現に脱皮してきているように思いますが、実際に坂本龍一をはじめとした日本勢が参加していないので、そもそも持っていたブラジル&ニューヨーク気質が前面化してきているのでしょう。
この辺りのエッジの効いた表現に更にノイジーなギターが加わるとよりそれっぽくなってくると思いますが、本作でもご本人はギターを弾いておらずプログラミングに徹しているので、そこはまた別の機会に期待することにしようと思います。
しかしながらこれで約30年前。音の雰囲気は古びていないので、当時から先端を行っていた。その先端とはフィジカルなものとのハイブリッドだった。というより90年代後半以降からは時代が止まっている。世紀が明けてその傾向は更に強まっていく。この見解は砂原良徳と小山田圭吾が対談で語っていたこととリンクしています。