モバイルと音楽

iPODを買って少し考えた。かつて九州を旅行したとき、阿蘇に行く電車の中であがた森魚の「いとしの第六惑星」とはちみつぱいの「塀の上で」が頭の中で鳴っていて、「ああ、これは風景と歌詞と記憶の掛け算だ」と思ったことがある。

カーステレオで音楽を聴く時も同様で、坂本龍一がドライブに向く音楽にプリンスを真っ先に挙げていたのも頷ける。「中央フリーウェイ」もそうだが、物理的風景とリンクした瞬間、旧に空間が記憶化され後でノスタルジーを生む。松任谷由実はもっぱら助手席視点だそうだが。

ひとつには移動のマジックがあるだろう。変化していく風景や移動する際の機械音、要するに部屋の持ち出しというより外界との化学反応なのだと思う。運転なんかは音楽で変わっていく可能性もあって、一概に部屋での視聴と一緒にはできない。だから音質もそこそこでいいのではないかと思う。いやむしろ運動性を煽る音、あるいは快適性を助長する音であるべきだ。

ということで、「永遠の遠国」を複製しなくては。