
カーネーションの直枝政広のディスクガイドを眺めていたらフィッシュやトレイ・アナスタシオの名前が目に入ってきたので手持ちのフィッシュの作品を聴き返したりしていましたが、久々に持っていないアルバムを手に取ってみました。
ジャム・バンドが流行ったのは90年代の終わり頃でしたので、この作品も98年にリリースされていますが、何度も書いた通りフィッシュの場合は本領を発揮するのはライブだと思うので、スタジオ録音盤にどうしても手が伸びにくかった。でもこうして聴いてみると、ライブを重ねたことによるグルーヴはそこかしこにあるし、そもそもが活動を分けるものでもない。ただ、長尺の楽曲やソロパートがないだけの話です。
昨今はソロパートをスキップして聴くリスナーも現れた、という話で、サブスクならではの出来事のように言われていますが、そうした傾向は昔から変わらないのだと思います。プログレのような長尺ナンバーを受け入れられない一定層がいて、かつそうした楽曲はラジオに不向きなので、結果的にヒット曲とは無縁になる。しかしアルバム単位で作品が聴かれていた頃には受容されていて、それが70年代のひとつの特徴でした。
翻って90年代に現れたフィッシュがグレイトフル・デッドのような活動で注目を集めた背景にはフェスの文化もあったし、そもそもがそうした長尺の演奏に身を委ねる恍惚感に焦点が合い始めた時代だったことが原因としてある。これは流行とは別に横たわっているニーズで、折に触れて蘇ってくるのだと思います。