2枚目。音質の改善は今後聴き返す機会を増やしてくれそうです。前回との違いはボーナストラックでアムステルダムの音源が入っていることですが、こちらの音質も言われるほど悪くはありません。とにかく前回が粗悪だった、ということでしょう。
ジャパンの場合、元々がビジュアル系の元祖みたいな感じで受け入れられて、その後音楽性にメンバーが目覚めた後には、世間でのイメージと本人達との意識の間のギャップに苦しめられ続けた、という歴史があります。
ここでの圧倒的な黄色い歓声と音楽性のクールで難解な佇まいに非常に違和感を覚えるのは時代のせいというより経緯、及び端的にルックスが秀でていたこと、またその見せ方にも意識的だったことが後々まで尾を引いている。化粧やファッションに拘ってメンバーにもその価値観を強いたのはデヴィッド・シルヴィアンだったというのはとても象徴的で、矛盾を孕んでいると思います。
土屋昌巳、矢野顕子、坂本龍一、高橋幸宏、といったゲスト陣が登場するのが後半の醍醐味ですが、ここでの客演が欧米文化への対等性を感じさせるものであったことは80年代の特徴的な出来事。やはり極東の島国と大英帝国には根本的な文化伝播力の差があるんですが、そこが一瞬縮まりつつあったし、そのスタート地点が80年代だった。
ジャパンというバンド名は単に響きの良さだけで決めたそうですが、結果的に最後は意味を持ってしまったし、YMOが出てきてタイミングも良かった。でもその後の活動を見ても、純粋に音楽的理由のみをモチベーションに交流を続けていたように映るので、あまりこうした解釈は関係ないようにも感じます。