スコラ 坂本龍一 音楽の学校 20世紀の音楽編第3回

f:id:tyunne:20181031212451j:plain

遂にシーズン4も最終回となりました。収録中に浅田彰が倒れた、というニュースもありましたが、ほとんどその素振りを感じさせない内容。収録はやり切ってその後検査入院したそうです。壮絶だなあ。

意外とあっさりと終わってしまいましたが、最期は戦後の現代音楽。ブーレーズはザッパのアイドルだったので名前はちょくちょく目にしていましたが、やはり物凄いことをした人ですね。ほとんど数学です。

音を表にして図形的に分析、配置していく。これは楽譜あっての代物ですが、やはりまず仕様・ルールがあって、それを形にしていくための技術的な発想が加えられていく。このあたりは本当にものづくりに近いと思います。ザッパの音楽にも現代音楽的な楽曲が多数ありますが、恐らくは背景に何らかのロジックが組み込まれていて、それが楽譜となって曲にして世に届けられる。これは背景を知ってなんぼの世界です。普通に聴いていては分からない。理解したら魅力も倍増するでしょう。でも解説が必要ですね。こうした体系的な分かりやすい解説は教わらないと分かりません。だから学校なんですね。

ジョン・ケージの『4分33秒』が絶対零度からきているというのは知りませんでした。ワークショップの折り鶴も感心しましたが、やはり発想が命なんですね。その後に構成する技術的知見があって、更に演奏する技術に繋げられていく。音楽は深いですね。

とはいえ、最後に坂本龍一が「ミニマリズム西洋音楽の行き着くところを見た」と発言しているように、こうした解体・脱構築の様々な試みが限界に向けて発展したところで何の意味があるのか。意味は勿論ありますが娯楽として音楽を楽しむ範疇を端的に越えているのではないか。単純に小難しくて心地良くはないものが大衆の支持を得るはずもなく、研究のための素材として音楽が使われたの過ぎないのでは?といった疑問が生じます。よりシンプルでセンス一発の気持ちよさ、快感を求める向きにはロジックは感覚的に受け入れられないような気もします。仕組みは面白いがアウトプットがどうなのか。実は結構面白かったりもするんですが、突き詰めていくと「もういいよ」となってしまう。その辺りの匙加減が難しいところです。

今回の内容は音楽というより仕事に使えそうな感じが多分にしました。少し会社の人と話してみようかなと思っています。