『NON-STANDARD collection -ノンスタンダードの響き-』disc 2

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2枚目に進みます。昨日聴いた1枚目で時代的な違和感がないと感じたのは、そもそも監修の鈴木惣一朗さんの選曲が「今聴いていいかどうか」という視点で統一されているから、という理由でした。その前提で聴き進めていきましたが、やはりご本人もインタビューで言われている通り、F.O.Eについてはこれまでも結構選曲の際に迷っていた。しかし今回は収録されています。

 

音色が温かい。今回F.O.Eを聴いてあらためてそう感じました。発売当時はビートの複雑さにばかり気を取られていましたが、当時の技術なのか、それとも音色の選択なのか、実際のところは分かりませんが、少なくとも聴こえてくる音はアナログ的な温かさを備えているように感じます。なので、聴く側を刺してこない。ここに「静かさ」の一因があるように思います。

 

一方でノンスタンダードは同時に裏でモナドレーベルも動いています。ここが後のアンビエントに繋がっている。その前は環境音楽でした。これがパラレルで動いていることが当たり前ですが圧倒的に大きい。過剰に突っ走りながらもそこにはどこか陰影があるんですね。それが音楽の奥行きを構成している。

 

YMO散会後に細野晴臣に求められていたものは「次の潮流」だったと思います。それがノンスタンダードだったのか。OTTだったのか。当時は無理やりそうさせられていたのかもしれませんが、それが86年の雪の日、細野晴臣の骨折で止まるまで、うなされたように続いていく。しかし、細野晴臣は個人の関心で動いてはいたものの、時代を牽引する、流れをオーガナイズしていく気はさらさらなかったのではないでしょうか。

 

それが証拠にノンスタンダードの所属アーティストの楽曲は、勿論細野さんへのリスペクトはありつつも統一性は特になくて、クオリティのベクトルが様々な方向に拡散していると思います。そこに通底させているのは「作り手側の感覚が標準化されていないこと」という理念であって、具体性は差し控えられています。そのため、次世代への様々な芽吹きが促進された。きっと自由だったからではないでしょうか。